私が高校で英語科を選択した時、
私が大学でWebデザインを選考した時、
アロマやトリートメントの勉強を始めた時、
大阪のスパで仕事を始めた時、
これらは、全部私が選んだようで、実はそうじゃなかった選択肢でした。
いつも他人の目が怖かった
本当は自分が楽しいと思うことを本能的にしたいと思っているのに、
周りの人や母親に、「何をやっているんだ」と批判されるのが怖かった。
しかし周りの人のように看護師やOLの道に進めるほど器量も頭もよくない私は、
自分でもできそうな無難な道を選んだものの、壁にぶち当たり、すぐに挫折して、
結果何もできない、自信のない人間になっていました。
本当の自分を取り戻す旅

ヨガの瞑想によって自分のマインドの偏りに気がつく
他人に軸を奪われてしまった私が自分の人生を思い出すのにとても時間がかかりました。
きっかけはバリ島に滞在するヨガの先生。彼女は私のメンターでした。
私はこの時初めて自分で決めて彼女にバリ島に会いに行きました。
そして彼女のレッスンを何度か受けた後、オーストラリアへと旅立つことになりました。
生きている以上リスクを負わなければならない
私たちは生きているだけで死ぬ可能性がある、と言うことを、私達はどれだけ日々意識できているでしょうか。
私はいつもリスクを負うのが怖く、自分で決めた道を歩むのをいつも怖がっていました。
それは普通の人から見たら、車の運転が怖いことを理由に免許を取っていながら9年運転をしていないのと同じくらい、おかしいことに見えたかもしれません。
人生は、リスクがあるけど自分で選択して歩まなければならない。
それに気がつくのに、本当に遅くなりました。
“恐いこと”と”やりたくないこと”は違う
私が敬愛するジョン・F・ディマティーニの書いた正負の法則に以下のような文があります。
これから一生恐れを感じることなく過ごそうなどと考えないでください。恐れが意味するのは、あなたが成長しつづけていて、安心領域(コンフォートゾーン)を超える意欲を抱いていると言うことです。
私は極端に恐怖と言う感情を抱きやすい自分の性格を心から喜びました。そして彼はこうも語ります。
「ああ、人生がもっと楽だったらいいのに」と言うのはやめましょう。その代わりにこう言うのです。「人生に試練があればいいのに。そうしたら、いままでより厳しい試練に対処する能力を身につけよう」
なんだ、ただのポジティブシンキングか、と思うかもしれませんが、彼はネガティブを否定しません。世の中にポジティブな部分とネガティブな部分が絶対的にあると言うことです。
つまり苦悩がなければ快楽はありえない。失敗がなければ成功はありえないと言うことです。
ならば成功と同じくらい、失敗を待ち望みましょう。愛しましょうということ。
失敗は悪であると思うと、そこで落胆や絶望と言う感情に振り回され、
やがて人は同じ思いを味わいたくないと恐怖し、試練に立ち向かう術を失います。
ディマティーニは感情は分裂であり、愛は統合だと言います。
感情で物事をみるのではなく、全てには表と裏があるのだと言う真理に気付かされます。
どうせリスクを負うならば、自分の夢を追いかけたい
どんな生き方にも楽に、苦労なく生きていける方法なんてありません。
なら自分のやりたいことで苦労したいですよね。
私は若い時、自分のやりたいことに目をそらして、
誰かに勧められた人生を歩んで、いつも他人事みたいに勉強と仕事をしていました。
自分の人生に責任を持つのが怖かったんです。
自分の人生に責任を持つとはつまり、自分で選ぶと言うこと。
他人軸ではなく自分軸で人生を選んで行くこと。
それは決してわがままじゃないんです。
だって誰も私の人生に責任なんて取ってくれませんもの笑 たとえそれが親でもです。
自分しかいないんです。
自分で人生を選択し始めると、自然と前のめりになって成長することを望みはじめ、
恐怖と同じくらいのドキドキとワクワクを感じることができます。
生きていることを実感することができます。
私たちは、いつも誰かの作った価値観に翻弄され、本来の自分を見失っていることに気がつく必要があります。
結婚しなければならないと言ったのは誰なのか。
会社で働かなくてはならないと言ったのは誰なのか。
それは恐らくあなたではない筈です。
それに気が付いた時、本当に自分がやりたいことが見えてきます。
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