いじめの原因を知っても意味はないし、いじめがこの世から消えることはない

人生・生き方
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この世からいじめなんてなくなってしまえ・・・!と言ったらいじめがなくなったらいいのですがどうも世の中そんな便利にはできていません。

そもそもいじめられる理由と言うのはいじめる側が勝手に作った口実です。

ただいじめたかったからいじめた。理不尽に思うかもしれませんがただそれだけのことなのです。

いじめる理由を探す人

いつも同じような服を着ているから、話し方がちょっと変わってる、眉毛が濃い、お尻を突き出す癖がある。いじめの理由は上げだしたらキリがないです。私にとっては「そんなのどうでもよくない?」と思うことでも、人によってはそれがイライラしたり、いじめたくなる理由になります。

子供の場合は容姿や見た目で他と違う人をいじめますが、大人になるとそれがあまり許されないことだとわかるようになり(一部の人は大人になっても) 自分は正当な立場を装って攻撃する人もいます。

例えば常識がないなどと言って数値で測ることのできない理由を掲げて理不尽に怒る人や、仕事ができない奴だと言って非生産的な言葉で誰かをこき下ろしたり。

例え相手に落ち度があったとしても、怒りには意味がありません。それがわかっている人は、部下や同僚に怒りをぶつけることはせず、常に会社や自分たちのための最善策を考えています。

いじめをする人や怒りを表現する人は、ただ単にそうすることで他者からの同意を求めていたり、相手をコントロールしたいと思っているだけです。

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いじめの心理

いじめをする人の行動の原理に以下のようなものがあります。

  • 誰かを羨ましいと思う劣等コンプレックスから
  • 自分より劣っている人を見つけて優越に浸る優越コンプレックスから
  • 仲間と一体感が欲しいと思う気持ちから

これらに共通する心理はどれもいじめをする本人の自信のなさから来るものです。自信のない人間はこの世にたくさんいます。なのでいじめを根本からなくすと言うことはできません。

いじめを黙って見過ごすのか?

いじめの問題と言うのはとてもデリケートで、ただいじめをした子供を指導したとしても、子供達は大人達のいないところでいじめをエスカレートさせることも多いです。それは子供達が自分の行なっていることが悪いことだと思っていないからです。

子供達は大人に叱られたとしても、「だって、」「でもあいつが」と自分の正当性を主張します。もしこの「だって」「でもあいつが」を大人の権力でぶった切ってしまうと「大人は自分を理解してくれない」と言う反発した意識に繋がり、より一層大人の話しを聞かなくなります。

本当は、人間関係が充実していれば彼らもそんなことをしなくても、楽しい友達関係を築くことだけに集中して生活していけるはずです。

大事なのは、彼らがこれからその人間関係をどうしたいと思うのか。

親や教師ができるのはあくまで見守り

もし子供がいじめに悩んでいたら、親はすぐにでも何かアクションを自分で取りたいと思うかもしれません。

でも子供達は成長した後、社会に出た後も自分一人で人間関係と立ち向かわなければなりません。子供の時は親が介入してそれで解決でいいかもしれませんが、それでは大人になった時、彼らは自分で人間関係を解決しようとしなくなります。

ここで親や教師ができることは、

  • 本人がどうしたいかを聞く
  • その上でアドバイスをしてみる( 意見を押し付けない )
  • 最後には絶対に本人に今後のことを決めさせる
  • いつでも自分がサポートできることを子供に伝える

と言う、いわゆる見守りと言う行為のみ。

いじめられている時の私の考え方

これはあくまで私が経験してきたことから言えることなので、これが答えではありません。私がいじめに合った時、私だったらどのように考えて過ごすのか、と言うことを書いてみました。

自分のことを好きだと言ってくれる人と一緒にいる

世の中にはどうしてもうまの合わない人と言うのがいます。一緒にいて全くわかりあえない、わかりあおうともしない人がいます。

でもそれとは反対に、自分のことを少しでもわかってくれる人もいるはずです。自分の嫌いな一部の人間にエネルギーを吸い取られるよりも、自分のことを理解してくれる人と一緒にいること。その人と楽しい時間を過ごすことの方が有意義な時間の使い方です。

自分のことを好きだと言ってくれる人に会えない時

誰だって孤独は嫌です。この世に一人で生きていける人はいません。

一部の精神論では、まず自分から相手を好きになることや、色んなことに感謝すること、など、まず与えることが大事だと言われます。

でも私の場合は、まず色んな人と会う経験をしてみたら、と言うと思います。

人に好かれる自信がなかったり、辛いことばかりだと、感謝したり、自分から与えることは難しくなります。それができているならたぶんいじめられても大丈夫な人です。

世界には色んな人がいるし、いじめってなんだっけ?と思うくらいそんなことを普段意識していない人もいます。そういう人と行動を共にするとマインドが変わりますし、感謝をする方法も、自分から与えると言うことがどういうことかもわかると思います。

自分はいじめられている、人が自分を嫌っているという意識で生活をしないこと。そんなことも忘れてしまうような環境で暮らすこと。

相手に理解させようとしない

いじめを体験された方の中には、恐らく自分の気持ちを相手に理解させたいと思う人がいると思います。

いじめられる側がいじめる側の人間を理解することができないのと同じように、いじめる側がいじめられる側の気持ちを理解するのはとても困難です。

相手は自分をいじめることを良いことだと思っているふしがあります。誰も自分のことを悪いと思いたくはないのです。だから彼らには自分が相手をいじめることを正当化する理由を作ります。ちょっと冗談言っただけ、遊んでただけ、相手の思い込み、本当にありとあらゆる理由を用意してきます。

例え自分が傷ついたと伝えても相手が話しを聞く気にならないのであれば、距離を取るべきです。自分が相手に理解させようと思うと余計に話しは拗れます。

もしあなたがその相手と話し会いたいのであれば、理解しろ、と言うのではなく、どうやったら私たちの関係を良いものにできるか、話しがしたいんだと言ってみるのもいいと思う。

相手に自分の気持ちを理解させるのを目的にするのではなく、どうやったら良い人間関係をお互いに結べるかお互いに考える。難しいことだとは思いますが、最終目的はむしろそちらの方であるはず。

それすらも話し合いに応じることができない人とは、やはり距離を置くことが必要になると思います。

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