信じる者は救われるは嘘?信じる信じないはあなた次第

人生・生き方
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人に騙されたり裏切られたりした経験があると、疑り深くなってしまいますよね。

かと言っていつもいつも人を疑ってばかりいても辛くなりますし、人を信じることができない人生はとても寂しいものです。

じゃあ一体私たちは何を信じるべきなのか?

人は自分に都合の良い情報を信じている

この世の中に本当に正しい情報はあまりないと思うんです。

SNSを使っているとよくわかると思いますが、この世界には色んな情報が錯綜しています。

じゃあ人間は一体どうやって信じるものと信じられないものを選り分けるのか。

基本的に人間は自分に都合の良い情報を信じているのです。

例えば友人に「このお茶ダイエットにすごくいいんだよ!飲むだけで1ヶ月2kg痩せた!」

と言われたとしてどう思いますか?この文を見ただけではその情報が本当かどうかはわかりませんが、友人が言ったのなら本当かも、と思うかもしれません。本当に痩せるかもしれないし、痩せないかもしれない。

「お茶を飲むだけで痩せることができるなら」と縋りたくなる人もいるかもしれませんし(運動や食事制限をするのが嫌な人は特に)

「もしもあなたがそのお茶を試したくない」「疑わしい」と思うならば、それを試さない方が都合が良いと思う何かしらの心理が働いています。(その友人を信じたくない、お金をかけたくないなどなど…)そのお茶や友人を否定することでなんらかのメリットが自分の中に生じているはずです。

このようにして、人は日頃から自分に都合の良い情報を信じ、都合の悪い情報を疑っています。

もちろん多くの人が情報に騙されないように様々な議論や仮説を立てるわけなのですが、その多くが本当かどうかはわからない情報のはずです。なぜなら自分が実際に見てきた情報ではないからです。

しかし結局自分が良いと思ったものを信じるしかない

けれど結局のところ、最後にその情報を信じるかどうかは、自分が判断するしかありません。

どんなに偉大な人やお金持ちの言った言葉であったとしても、自分が納得していないのに信じるべきではありません。

一番大事なのは個人の考え方。あなたがその人の話しを聞いてどう思ったか。なにを信じれば自分が納得できるのか。それを信じて失敗しても後悔しないと思えるのか。

自分が何を信じるのかを、両親や神様に委ねていては本質は何も見えてきません。

何かに騙されたり裏切られたりする経験はあっていい

私は信じていた人に騙された経験があります。

考えて見ると、その人に裏切られる前は、人のことを簡単に信用しすぎていた自分がいたことに気がつきました。

悪いことも良いことも全て信じすぎて、それが嘘か本当かどうか考えもしなかった。人を疑うことは悪いことだとすら半ば本当に思っていたからです。

だから自分のことを悪く言われている時も「そうか、私は何も出来ないだめなやつなんだ」と思い込んでいました(そこで見返してやると言える人間であれば良かったのですが、その時の私はただ凹んでいました)

他人が言ったこと、例えそれが権力を持つ人の言葉でも、それが真実かどうかはわからない。無知な私には、それがわからなかったのですね。

けれどそれって結局思考停止なんですよね。

どんな人にも善の側面も悪の側面もある。それが人によって深いか浅いかなのだと思います。でもそれが人間だし、それを理解することが人生なのかもしれない。

優しい人は利用されてしまう?

例えばあなたが人に頼みごとをしたい時、相手にどんな人を選ぶでしょうか?

人当たりがよくて、優しくて、人が言ったことをすぐ頷いてくれる素直な人や押しに弱そうな人ではないでしょうか?

人と言うのは知らない間に「この人はこの役割」「きっとこうしてくれるはず」のように様々なレッテルを人に貼っています。

だから優しい人になると言うのも、あまり良いことばかりではないのですよね。

私は見た目の人当たりの良さから色々な人に付け込まれることが多いです。ちゃんと人格を見抜く人にはそれが作り物だと言うことに気がついているのですが、稀にそれに気がつかないで寄ってくる人と言うのがいます。

私はそれに気が付いてからは、素の自分を出していくことを恐れないようにしています。自分で作った偽りの人格には、偽りの人間関係を引き寄せてしまうと言うことをもう知っているからです。

つまり自分に正直に生きると言うことです。

そんなことをしたら人に嫌われるのではないかと思う人もいるかもしれませんが、あなたがどんなにできた人間でも相手は勝手に好き嫌いのラベルを貼っているものです。

自分ではどうすることもできない人のご機嫌にあくせくするより、自分の意見を積極的に周りに伝えることの方が実は何十倍も有益な人間関係を築くことができます。

疑うことで起こる弊害

しかしなんでもかんでも疑ってしまうと、さまざまな弊害が生じます。

まず第一に人を疑うと言うことは、自分の中に敵を作ってしまいます。

そして一つ何かを疑い始めると、他の全てを疑い始めてしまいます。

こうなってしまうと泥沼です。

疑い過ぎている自分に気が付いた時、私が気をつけているのは

詮索しても仕方がない相手の感情を疑わないようにすることです。

例えば「どうしていつも私にこんな仕事をふるのか?嫌がらせ?」「私を利用しているのか?」と言った感情を持つことは無意味だと思うんです。そんな疑いを持ったところで精神的に不利益ですし、問題解決に繋がりません。最悪あなたの態度次第では信頼関係を失いかねません。

もしもそんな状況に出くわしたのであれば、自分の現状を把握し、その仕事が手に終えるなら請け負う。明らかに損害があるのならやんわり断るか交渉する。と言ったように建設的なものの見方ができるような視点を養いましょう。

人を騙す人は聖人君子の顔をしている

私自身も何を信じて、何を疑ったらいいのかと言う考え方をまだまだ整理中の身ではあります。宗教団体のように、一人の人を神のように崇め奉る組織を(SNSでも)見ていると少し怖いとも思います(私を過去に騙した人の周囲は、彼のことを完全に信じきっていたからです)

騙す達人こそ、部下を信じ込ませたり、周囲の人からの信頼を得ることにとても長けています。だから自分が騙されていることに最後まで気がつかないことがあります。ある意味騙されている人は幸せであったりもします。

逆に誰からも信頼されていない人が自分を利用しようとする時は、魂胆がみえみえだから腹が立つのでしょうね。

確信を持っていえるあなたが信じなくていい相手

ただ一つだけ、あなたが信じなくてもいい人をあげるとするならば、あなたの存在に異常な執着を示している人です。

例えば会社をやめたくても「やめないでくれ」と引き止められたり、離婚したいのになかなかできなかったり。その他にも相手が自分の行動を監視しようとしていたり、異常な束縛を感じるような関係は、切り捨てて構いません。

本当に有益な人間関係と言うのは束縛しあう関係ではありません。

もっと言うと優秀な人の周りには優秀な人材が集まるので、誰かに追いすがる必要がありません。たくさんある選択の中からあなたを選んだけれど、他にも候補はあるのです。

逆にあなたに追いすがってしまう人は、実のところあなたじゃなくても誰でもよかったんです。「あなたしかいないんだ」と口では言いながら、他の人を探す努力をする気がないだけです。

私が今まで失敗してきた人間関係の全ては「あなたのことが必要だから」と私の存在を縛る関係でした。もちろん必要とされることは大事なのですが、こちら側の気持ちや立場を無視してまで自分を縛ろうとする関係は、許されるものではありません。

信じるものは救われるには続きがあるんじゃないのか?

信じるものは救われると言う言葉の意味は諸説ありますが、

私はこれを「主イエスを信じれば色んな恐怖から解放され、恐怖心によって前に進むことができない人に勇気を与える呪文」のように捉えています。

そして私はここに新たな文章を付け足した方がいいのだろうなと思うのです。

それは「正しい努力をして自分の道を進むことができる人が、信じるものを持てば強くなる」と言う解釈です。

何の努力もしない、自分を成長させると言う向上心のないものが何かを信じても報われない。それどころか他人に利用されてしまう。なんでもかんでも信じて行動すれば救われるわけではなく、なんでもかんでも疑って何も行動しなければ安全と言うわけでもない。

自分の進む道を信じ、努力を重ねたものにこそ救いはくるのではないかと思います。

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