愛情が足りないと言われた人に不足しているものとは?

人生・生き方

幼い頃から周りからの私への印象はとても複雑なものが多い。

ミステリアス、気分屋、クール、サバサバしている、などおよそポジティブともネガティブとも言いづらいものばかり。どちらかと言うとネガティブでしょうか。

その中でも私が一番戸惑うものが「愛情が足りない」でした。

当時は意味がわからなかった「愛情が足りない」

そう言われたのは私が20代前半の頃で、その頃の私はまだまだ甘えたでした。なかなか社会人としての意識が形成されておらず、また頭ごなしに言われたことにはつい反発してしまう青草さがまだ強かった時期でもあります。

しかし「愛情が足りない」の意味が不透明だった私なのですが、なんとなくそれは図星だと言う気持ちもありました。友達が私の印象を言う時は決まって「クール」や「さばさばしている」と言う、素っ気なさそうなものが多かったからです。

加えて、私にはそんなにたくさんの友達がいるわけでもなかった。愛情に満ち溢れている人の元には友達がたくさんいると言うぼんやりとした理論は私の中にもあったので、妙にその言葉に納得してしまったんですね。

愛情のやりとりが上手く行かないと関係は壊れる

無理に相性の合わない人と付き合う必要はありませんが、自分が好きな人に「好きである」と伝わらないのは辛いです。なぜならそれは相手が自分と一緒にいても「楽しくない」「幸せな気持ちになれない」と言うことだから。

だから相手は自分に何も言わずに離れていく。自分でそれに気が付いて何かを変えないと、いとも簡単に人間関係と言うのは崩れてしまいます。

愛情を示すには相手に関心を抱いていることを伝えること

何も出会う人みんなに「好きです」と告げなくても愛情を示すことはできます。むしろ日本人で好きですと無差別に言って信じてもらえるのは、それなりの人格が必要だと思うので、直接的な方法で相手に好きを伝える方が私はいいと思っています。

例えば

  • 相手のことを見ていて気が付いたことをポジティブに話す(褒める)
  • 相手が困っている時はなるべく助ける
  • 感謝や喜びの気持ちを伝える(気持ちを込めて言うこと)
  • 話しかける、メールを送る(挨拶をするだけでも○)
  • 相手の好きなものや趣味を、自分も調べたり試してみたりする
  • 相手の好きなものを贈る(やりすぎはNG)

例えば相手を褒める時も、外見を褒めるのではなくて相手が気が付いていなさそうな内面の部分を話してあげたり、ただありがとうと言うだけではなくて、どうしてそれが嬉しかったかなどの理由を添えてあげると、相手にも気持ちが伝わりやすくなります。

相手に関心を抱いていないとついつい褒める言葉が「可愛い」とか「すごいね」などの平坦な言葉になってしまいます。物を贈る時も、相手が喜びそうなものを”なるべく”選びましょう。また贈るときも「いつも〜〜だから好きかな、と思った」など、普段相手の行動や関心事に結びつけて贈り物をしたら喜ばれることが多くなるでしょう。

無理をしないことが大前提

思えば私の両親は放任主義と言うか、あまり子供のすることに頓着をしないタイプの人達でした。子供が三人いて仕事をしている両親からしたら、余裕がない毎日だったでしょう。

しかしそのせいなのか、私は他人に関心を抱くと言うことが自然にできない人間になっていました。人に言われたことを見よう見真似でやってみても(笑う練習をしたり、メールを送ってみたり)なんだか自分が相手に媚びを売っているような、自分の本心でやっていることではないような気がしていたたまれませんでした。

もしも私と同じように、愛情の示し方がわからなくなった人は、決して自分を追い込まないでください。

愛情と言うのは、相手と関わりたい、仲良くなるにはどうしたらいいだろうかと“自然”と湧いて出てくる気持ちなのであって、無理やりに出すものではありません。

こうしなければならない、私などでは人を愛せないし、誰も自分を愛してくれないのだと言う感覚に包まれている時に、人を愛するなんて到底できません。むしろ努力したのに人が自分から離れていくのを目の当たりにした時、再び心に大きな傷を負ってしまいます。

もし愛情とは何かがわからなくなった時は、自分の心の傷をまず癒すことを考える。そして次に自分が好きだと思えることを大事にしたりストックしたりする。そこから共通の”好き”を持つ人と繋がり、そこで他者と関わることの幸福を覚えましょう。

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