人生を楽に生きられない人は、もしかしたら他人と自分を比べて生きているのかもしれない。
人よりも優位に立たなければ安心できないから
本来人間が自分と他人を比べるのは、少しでも理想に近づくためにする行動。
自分と相手の違いを比べることで、どうしたらその差を埋められるのかと分析するためにあります。
けれど世の中には、自分より優れている人を見ると逆に劣等感を刺激され気落ちしたり、落ち込んだりする人が多いです。どうしてなのでしょうか?
それは無意識に人よりも優位に立つことで安心したいと思う感情があるからです。
自分が優位に立てると人はつかの間安心します。自分は今安全な場所に立っていると思えるからです。
しかしこれはまやかしの自己肯定です。自分の優位性が証明されなくなった途端、精神崩壊をいたしかねないからです。
どんなにどん底の人生になったとしても鋼の精神を保てることの方が本当なら良いはず。
今持っているものが0になっても、自分になら人生をやり直せる。そう思える方が楽な生き方だとは思いませんか?
上には上がいる
他人と自分を比較してもキリがありません。なぜなら世の中には自分より優れている人で溢れかえっています。その逆もしかりです。
人は無意識のうちに他人と自分を比べて心を消耗しています。しかし比較の対象と言うのは次から次へと芋づる式に出てきます。理由も無限大です(お金持ち、所帯持ち、人望があるetc…)
辛いとわかっていていつまで比較を続けますか?自分が人類の頂点に立ったら?たぶん米国の大統領でもビルゲイツでもそんなことは無理でしょう。
じゃあどうしたら他人と自分を比較しないでも満足・安心できるのでしょうか?
それには自分の価値を自分で決めること、つまり自分自身を認めてあげるしかありません。
不完全な自分を認める勇気を持つ
自分と他人を比べて優位に立ちたいのは、今の劣っている自分を認められないからです。
劣っている自分では嫌だ、惨めな思いを払拭したい。そう思い今の自分から逃げても、後ろから追いかけてきます。なんたってあなた自身ですから。
でもふと立ち止まり、自分を認めてあげることができたら、じゃあできないなりに何をしようと考えるようになります。これから自分はどうしたいのか。今できることは何か。改善できる点はなんだろうか。そこから行動して行けばいい。
どんな偉人も不完全だし、不完全のまま死んでいきます。むしろ不完全であるからこそ、そこから何をするのかと言うが、人間なのではないでしょうか。
成長していない人間はいない
何かを自分の手で育てるのはとても楽しいことです。育てていた花が咲いたら嬉しくない人はいないでしょう。
それと同じように、自分を大事に育てることに喜びを見出すと、自分が他人よりも劣っていることが気にならなくなります。
どんな些細なことでもいい、例えば早起きができるようになった、料理のレパートリーが増えた、友達が増えた、趣味が増えた。あらゆる変化を肯定的に捉えることで自分の成長を実感しましょう。
何もお金を稼ぐこと、素晴らしい偉業を成し遂げることだけが人の成長ではありません。
精神的に成長することだって大事なことです。以前は考えられなかったことが今ではわかる、と言うことでも成長しています。
自分の成長以上に嬉しいことはないです。これは人と比べて優位になれた時よりも気分がいいです。
逆にそちらの方に考え方をシフトしていくと、もっともっと自分を成長させようと言う意欲が湧いてきます。あとは勝手にどうやったら成長できるかしか考えなくなります。
他人と自分を比べて落ち込む時間が無駄だとすら考えられるようになれば、きっとあなたは自分の人生を思う存分楽しんでいることでしょう。
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